昨日は数日ぶりに夕方の散歩をした。見上げれば十勝岳連峰が遥かに屹立し、道の脇を見やれば収穫を待つばかりの稲穂が黄金色に輝く。山から吹き下ろす涼やかな秋風と背中に降り注ぐ西日の暖かさを同時に感じながら、ただ歩く時間。
少しずつ濃くなっていく蒼天を見上げ、どこへともなく飛んでいく赤とんぼとカラスの群れに懐かしい気持ちになる。
高校生のころは夜に丘を散歩していた。地元までの片道30分の電車から降り、街はずれの丘陵を登って夜風に吹かれ、星空を見上げながら思いついたフレーズを手帳に落としていく。一人なのにとても満ち足りた気分になれる、特別なひととき。
今になって思えばとても贅沢な経験だ。快晴の夜に広がる満天の星空、曇りの夜の温くて青臭い香り、雨音と虫の声の合唱。名前もない林の中にあるナナカマドの木で雨宿りした思い出や、ベンチに座ってただ風に揺られて過ごした時間。
全部が全部、今も私の中で息づいている。細かい理屈がなくても、世界は優しくて広いんだって教えてくれているんだ。
この丘を登る果てには吾亦紅薄桃に染まり只我を待つ
秋が好きになったのは、高校生になってからだった。
それまでは、春や夏が好きだった。それは単純に体を動かしたり、雪が解けて友達と遊べるようになることがただ楽しかったんだろう。でも、高校生になり、詩と短歌を書くようになって初めて迎えた秋は、まるで色の濃さが違ったんだ。
友人たちに連れられて自然公園に行ったのがその最初。丁度、7年前の今日くらいの時期だった。
木の葉が赤や黄に染まり、虫たちが鳴き、そして散り去っていく。一見儚いものにも見えるのだけれど、彼らは冬に備え、また新しい春を迎えるために精一杯にその命を輝かせている。それがとても美しく見えて。それから、私は秋を大切にするようになったんだ。
私に詩を教えてくれた友人は、ナナカマドの木の下で文字を書くのが好きだった。短歌を教えてくれた友人は、決まって東屋のベンチに座っていた。色々と癖は強かったし、優しいばかりではなかったけど、二人にたくさんの薫陶を受けたからこそ、私は今も文字書きでいられるのだと思う。
私は二人から少し離れた楡の木の下で手帳を広げるのがルーティーン。一か月と少ししかなかったその秋に、私は随分と成長できたように思う。自然の中で文字を書き、友人の交流する時間はもう戻ってこないけど、大切な宝物になっている。
木枯らしの吹き始めるを君知らずふわりと落ち葉肩口に乗る